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43-企業 [岩崎雄太-05]

第三の拠点である地方都市が雄太達の力によって発展しつつ有る事が世に知られ始める頃、雄太は祖父が会長、父が社長を務めるグループ中核を担う会社の副社長に就任している。
その段階で。

「岩崎村の開発と並行して行って来たグループ企業全体の改革が進んだ事によって、グループ企業全体のイメージが良くなっています、給与体系や労働環境の改善に掛かった費用、田舎への投資も、全体の売り上げアップによって問題のないレベルで推移しています。
よって、更なるイメージアップ戦略を練って行きます。
まずは地方の活性化に取り組む企業グループという事を前面に押し出してPR、今取り組んでいる第三の拠点の再生をアピールし目に見える所まで再生が進んだら、全国で展開、単なる寄付ではなくあくまでも投資と言う形を取りますが、そこで得られた利益はその地へ再投資という形にして行きます。
社員の皆さんの希望を尊重して調整しつつ、大都市に有る本社機能は縮小し地方の支社へ移して行きます。
ネットが普及した現代、土地が高く過密状態になっている都会でなくとも出来る事は地方へ移して行きます。
これは一気に行うのではなく、都会で暮らしたい人を無理に地方へとは考えていません。
ただ、新規採用は地方勤務優先としたいです。
それから…。」

それ以来、大都市から地方都市への流れは少しずつ進んでいる。
移住は強制されるものではなく反発は少なかった。
最大の問題はどこの地方都市へ移すかという事だったが、地方支社や営業所の機能を拡大する形に落ち着いた企業も多い。
企画部は岩手工場に併設、経理部は福井支社にといった形も有る。
この取り組みにより実家へ帰った者も多い。
単独の企業で有れば難しかっただろうが、グループ企業間での転職推奨が上手く行った。
地方の実家から通える職場を希望する者とその地方での社員増強を図る企業とのマッチング作業は簡単では無かったが、進めるべき事だと考える社員が多いのは雄太の功績だろう。
もちろんデメリットも有ったが、満員電車から解放され、家賃が大きく減った社員は喜んだ。
企業としても大きな試練では有ったが、地方の活性化に取り組む姿を見せる事によって売り上げを伸ばした。
さほど関係のない店でも グループ企業の商品を優先的に扱って応援しようという機運が芽生えた事も大きい。
他の企業とは逆の発想て地方再生に貢献、雄太はその中心人物として広く知られる様になっていった。
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